ピラティスを広める活動をするにあたりこの方の紹介は外せない。もちろん健康についても深く関係していてまずは彼の生い立ちを紹介します。著書。「コントロロジーピラティスメソッドの原点」から抜粋しています。
ジョゼフ・ヒューベルト・ピラティス(1880ー1967)
出身はドイツ。幼少期時代は病弱だったそうです。喘息やリウマチ熱など苦しめられたそう。病を克服するためにいくつものスポーツを経験したそうです。ボデイビル、体操、スキー、ダイビングなどを行い。14歳になるころには健康体になっていたそうです。父は体操選手、母は自然療法士でした。運動と健康の関係性については家族の影響も少なからずあったと思います。ちなみに自然療法士とは、生活習慣や環境など根本原因を探り身体全体をケアするみたいです。主に食事指導、栄養カウンセリング、ハーブやサプリなどを用いるそうです。アメリカやオーストラリアなどでは4年制大学の学位や国家資格があるみたいです。日本ではそこまで確立してはいないそうです。
ピラティスは東洋と西洋の身体訓練法の両方を取り入れ、研究し体と心を完成させ維持するという古代ギリシアとローマの哲学に影響されたそうです。体と心・・・WHOが定義する身体的健康、精神的健康ですね。WHOが設立され定義したのは1948年。ピラティスは60代ですね。もしかしたらWHOが設立定義する前にピラティスは分かっていた?悟っていた?かもしれません。今後紹介するピラティスの健康に対する考え方みると、まぁ分かってた・・・と思われます(笑)
1912年。イギリスに行きます。ボクサーだったみたいでそれを追求する為とも言われています。サーカスの一員としてともいわれています。幼少期は病弱だったみたいですがバリバリの体育会系ですね。
1914年に第一次世界大戦が勃発し収容所に拘留された時に仲間の体力回復の手助けをしたことが後の「コントロロジ
ー」ピラティスメゾットの始まりとなっています。ここからピラティスが始まったとなっています。また寝たきりの患者の為にベッドからスプリングを取り出しエクササイズをする器具などを作ったとのことです。これが今でいうマシンピラティスですね。
1918年世界的規模でインフルエンザが大流行し数万人のイギリス人含む何百万人の命が失われたそうですが、ピラティスの同期は誰1人この病気に倒れなかったそうです。本当?って思いましたが本当なのでしょう。どういう方法かすごい気になります。体と心・・・なんですかね。
戦後ドイツに帰り色々なものに興味をもったそうです。ホリステイックメデイスン、瞑想、モダンダンス、ホメオパシー、トリガーポイントセラピスト、呼吸法、東ヨーロッパのホリスティックセラピーなどなど。聞いたことないような言葉が並んでますがこれがピラティスメゾットに活かされているようです。
1925年ドイツ政府に軍隊の訓練を依頼されたそうですが当時の政府があまり好きじゃなかったみたいでアメリカに移住したそうです。ニューヨークにスタジオを作りピラティスの普及活動を始めたそう。ニューヨークの上流階級の人たちや有名人などにレッスンしていたみたいです。そこから少しずつ認知され始めたとのこと。
1930〜1950年。ダンサーや振付師などにレッスン。また怪我をしたダンサーのリハビリなどをしダンサーの人達にとってなくてはならないものになった。
1950年代。ピラティスの普及活動や売り込みなど精力的に行っていたそうですが、彼のメソッドは医療や教育制度の主流にはならなかった。医学界の無理解には深く悲しんだそうです。
1967年没。
1990年代。コントロロジー(ピラティス)はアメリカ各地のメデイアで取り上げられ次第に浸透していき海外にも広がっていく運びになる。
生前ピラティスは「私のメゾットは50年早かった」と話されたそうです。そうすると2017年(1967年没)
第一次ピラティスブーム2000年〜2005年前後。この頃に日本上陸。
第二次ピラティスブーム2010年〜2015年前後
第三次ピラティスブームが・・・現在となっていますがあまり実感あったりなかったりは各々あるとは思います。
ピラティスの予言はほぼ的中・・・ですかね。
以上がジョゼフ・H・ピラティス・・・です。簡単ではありますが。
次回以降はピラティスの健康に対する考え方紹介したいと思います。
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